割れた皿大量に出土 カッパの集落跡か 京都・黄桜町 これは嘘ニュースです
割れた皿が出土した集落跡
昨年の発掘調査で確認された多数の住居跡に加え、今年2月の2次調査では大量の皿が割れた状態で見つかった。当初は食器と推測されたが、分析の結果、人骨と同じカルシウムの成分が検出されたことから、皿ではなく骨であると結論付けた。
また現場からは「胡瓜」と記された黒色土器、酒甕(さかがめ)、銅鉱石が相次いで出土。特に乾燥した尻子玉が見つかったことが決定的な証拠として、町教委は「この地域でカッパが集団生活していた可能性が高い」と結論付けた。皿が折り重なるようになっていたことや、出土品の状態が良かったことから、集落ごと洪水で流されたのではないかとみている。
黄桜町の北部には平安京(現在の京都市)があり、平安時代の随筆『枕草子』444段「河童(かっぱ)」には「先日の洪水で河童郷で多く亡くなったと聞く」と記されている。これまで「河童郷」と河童の存在について専門家の間でも諸説あったが、今回の発掘を契機として『枕草子』が書かれた当時、カッパと人が交易などを通じて共生していた可能性も出てきた。
「河童」は作者の清少納言が、「太」と「犬」を書き間違えた空海(弘法大師)の手紙を引き合いに出しながら、「弘法にも筆の誤りがあるように、あの河童でさえ川に流されることもあるのだろう」と結んでいる。後にことわざ「河童の川流れ」の由来になったことでも知られているが、さらに調査が進めば「河童の川流れ」は史実として裏付けられることになる。