腹切り強いし「腹ハラ」訴訟、藩に賠償命ず 南町奉行所 是は虚報にて候

南町奉行所一〇一号白洲
かの武士は享保十年、家老より藩の財政立て直しの任に当てられ、倹約令を発し歳出削減に尽力せしも、米価高騰を抑へ得ず、翌年責任を負ひ切腹せり。
判決によれば、当人は改革の効果上がらざることにつき、家老より幾度にもわたり、「禄泥棒」「表六」等の文言記しおかれたる書付を差し遣はされたり。
藩側は奉行所の聞き取りに応へ、「切腹せよとは申さず。ただ空気を読めと申したるのみ」と弁明せり。なれど、奉行所は「切腹は家老より度を越えた叱責を重ねられたるが故の過労によるもの」と断じ、これを腹ハラに当たると認定せり。
一方、書状に記されたる「鮟鱇侍」の文言につきては、当人の面体、鮟鱇に似通ひたるゆゑ、侮辱には当たらずと判断されたり。
大岡忠相町奉行は、判決文朗読の後、あくまで私見と断りて、「忠義の名の下、人を追ひ詰むるはもはや主君の道に非ず。切腹の美学も度を越ゆれば、徒なる業腹と化す。斯様なる前時代の行ひ、ここにて絶たむと欲す」と述べたり。
同日、越前藩は「再発防止に努む」との公式触れ書きを掲げ、当時切腹を命じた家老に切腹を申し渡したる旨、発表せり。
- 前の記事
- 事件・事故
虚構新聞友の会
本紙友の会へ入会すると、会員専用掲示板に書き込みができます。おすすめリンク
<BOOK>大岡越前
名奉行といえば、第1に名前をあげられる大岡越前。だが、彼の前半生は決して人に誇れるものではなかった。元禄の悪風に染まり、水茶屋の女お袖との間に一女までなしたが、一緒にはなれない。やがて、江戸町奉行へ抜擢された時、お紬の復讐が彼を待っていた。――みずから蒔いた種をみずから裁く人間大岡越前の苦悩。戦後の混乱した世相に、探い想いを託して描いた意欲作。社主ピックアップ

