Kyoko Shimbun 2009.10.02 News

甲子園支えた「声」、今年で引退 これは嘘ニュースです

甲子園球場
 夏の風物詩、高校野球。球場に響き渡るあのサイレンを聞いたことがない人はいないだろう。戦後まもなく再開されてから今日まで、60年以上にわたってたった一人でサイレンの声を担当する女性がいた。

 幣原加奈子さんは現在84歳。1946年に夏の高校野球が再開されて以来63年間、この仕事を続けてきた。戦前は手回し式サイレンを使用していたが、戦後GHQ(連合国軍総司令部)から女性の社会進出を活発にするよう指令が出たため、手回し式サイレンの音と同じ声が出せる女性を採用することになった。この時選ばれたのが、当時甲子園球場で氷を売り歩いていた幣原さんだった。

 「高給に釣られたんですよ」と幣原さんは笑いながら語る。しかし、そもそも機械音であるサイレンを人がまねるには相当の苦労があった。「ア」の音では音がこもらず、かと言って「オ」の音では音がこもりすぎる。数カ月間に渡る試行錯誤の結果、「ナ」の音に少し「ア」を加えることで、サイレン独特の音を再現できるようになった。

 「正確に表現すると『ノナァ~~~~ァ~~~』という感じですかね」と幣原さんは教えてくれた。

 再開当初は設備もまだ十分でなかったため、幣原さんはマイクを使わずサイレン音を発声していた。そのため、のどをつぶしてしまうことが多かったという。また、1958年の第40回大会で幣原さんは骨折で入院。あわてて別の女性を代理として立てたが、いつものサイレン音とかけ離れていたため観客の苦情が殺到。静岡市内にある病室にマイクを設置し、はるばる甲子園まで中継したこともあった。

 「あとで代理の方の声を聞いたら『ノナァ~~~~ォ~~~』って叫んでるんですよ。やっぱりあの声は私にしか出せないんでしょうねえ」と幣原さんは当時を思い出す。

 そんな幣原さんも、寄る年波には勝てなかった。昔のような大声が出せなくなったため、この数年はマイクのボリュームを上げて対応していたが、ついに今年を最後に引退を決意した。今後は地元の草野球大会などで活動する予定だという。

 幣原さんの後任はまだ決まっていない。大ベテランが去った後について甲子園の広報担当者に尋ねた。

 「いや、普通のサイレンに戻しますよ」

 元々機械のサイレン音だったのだから、普通にサイレンを使えばよかった――。子供でも分かる答えだが、誰一人としてこの事実を幣原さんに伝えることはできないだろう。

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