Kyoko Shimbun 2011.08.28 News

元軍国少年82歳、夏休みの宿題ようやく提出 これは嘘ニュースです

集団就職の時代(滋賀県大津駅にて)
 夏休み最後の日曜日となった28日、たまった宿題に追われる子供たちもいれば、すでにやり終えて肩の荷を降ろした子供たちもいるだろう。どうしてせっかくの「休み」なのに勉強をしなければならないのか――。そんな不満を持ちながらもしぶしぶ宿題に手をつける子供が、今から72年前にもいた。

 滋賀県在住の桜井五十二さんは1929年生まれの82歳。11年前に妻を亡くしたが、今は9人の孫と3人のひ孫に恵まれ、健やかな余生を送っている。

 しかし、桜井さんには大きな心残りがあった。それは今から72年前、大津市立由美浜尋常小学校4年生として在学していたときに出された夏休みの宿題だ。

 この年、ドイツのポーランド侵攻をきっかけとした第二次世界大戦が勃発。その頃10歳だった桜井さんも、当時はどこにでもいる軍国少年の一人だった。そんな時代だからこそ、であろう。桜井さんの担任教師は生徒たちに、夏休みの宿題として「お国のために役立つ小粋な工作」を作ってくるよう課題を出した。すでに日本は1937年から日中戦争に突入。「一億総火の玉」で敵国に立ち向かう空気が出来上がっていた。

 夏休みが終わり、生徒たちが再び学校に集まると、日焼けした同級生たちはこぞって小粋な発明を見せあった。ある少年は、兵隊が簡単におにぎりを作れるようにと、俵型のおにぎりの「型」を作って持ってきた。中には出刃包丁を8本、傘の骨のようにくっつけた珍妙で物騒な武器を持ってくる同級生もいた。

 だが、桜井さんは宿題を持ってこなかった。クラスで工作を持ってこなかったのは、桜井さんただ一人。「国に非協力的で反抗的」と担任から叱られ、生徒たちの前で平手打ちを浴びた。「なぜ宿題を持ってこなかったのか」と何度も問いただされたが、桜井さんは無言を貫き通した。実のところ、何も思い浮かばなかったのだ。

 1945年、終戦。16歳の夏だった。桜井さんは集団就職で東京の中堅商社に入社。その後、高度経済成長の波に乗り、1989年に退職した。

 悠々自適の老後を送るかに見えた。だがあの「小粋な工作」のことがずっと忘れられなかった。「今なら何か作れる気がする」。桜井さんは商社マン時代に築いたコネクションを生かし、工作に必要な材料を調達。その後21年を要し、ようやく今年「工作」が完成した。

 桜井さんが作り上げたのは、手のひらサイズの核弾頭だった。見た目は不恰好であるが、民間人が自宅で独力で作り上げた世界初の核弾頭だ。

 桜井さんはこの核弾頭を持って、27日、かつての母校である現・市立由美浜小学校を訪れた。

 「これが私の宿題です。72年もかかってしまいました。遅くなってすみませんでした。」

 桜井さんはそう言うと、この日のために小学校にやってきた当時の担任教師に核弾頭を手渡した。すでに100歳を超えている老教師は物珍しそうにしげしげと眺めたあと、こう話した。

 「小粋じゃないから再提出。」

 人の口からエクトプラズムが抜け出る瞬間を、記者は生まれて初めて目の当たりにした。

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